五月雨星

 

 

 

フォーティンブラス全25公演 お疲れさまでした。

 

 

誰一人欠けることなく大千秋楽まで駆け抜けられたこと、嬉しく、また数々の先輩が出演してきたこの作品に悠仁さんが携われたこと、誇りに思っています。

 

脚本家の方が「岸川和馬という役は縁起がいい。いずれ何かを成し遂げる者だ!今回の鈴木悠仁さんにも」と期待を寄せてくれていたけれど、きっとその期待にも応えることができたんじゃないかなと。

 

 

 

 

 

まずこの作品が発表されてから、自分でも、大光くんからも言われていた「悠仁なのにミュージカルじゃないんだ」。

それは悠仁さんの歌への信頼であり沢山の人にその歌声が届いているという証拠だけど、 悠仁さんがストレートプレイで2時間、という未知の世界へのドキドキもあって。

 

でも初日を見た瞬間、そんな気持ちが吹き飛ぶくらいの衝撃。そこにいたのは今まで見せてくれたどれとも違う、俳優としての姿で。

(それこそ青のSP以来の、100%俳優としての悠仁さんだった。)

 

 


これまでの現場は色々あれど、どれもどこかにアイドルの悠仁さんがいて。

少年たちは事務所伝統の舞台だから当然アイドルであることが前提にあったし、日劇前の本名に近い役名と先輩の曲を歌って踊る姿はいつものアイドルとしての姿を彷彿とさせてくれた。

 

 

 

でも、今回長台詞やハムレットの台詞を澱みなく言う姿は"岸川和馬"そのもので。真面目で少し融通が効かなくて、でも誰よりも芝居を愛していて、それと同じくらいお父さんの芝居を愛している岸川和馬くん。

 

 

 


和馬くんの台詞で一番強く心が揺さぶられたのは『俺たちがどんなに頑張ったって主役があれじゃ芝居はどうにもならない』と言う羽沢に対して声を荒らげて言った

 

 

「なるんだよ!俺が頑張ればどうにかなるんだよ!!」
 


和馬くんはお父さんの芝居を愛していたから、どんなにつまらない脚本も駄目な主演も脇役次第で面白くできるということを知っていたから。時には主役よりも人々の印象に残るということを。

だから、役不足も傍若無人な主演もぜんぶ受け入れて、割り切って、与えられた役を全力で生きようとした。例えそれが周りからは滑稽な強がりに見えたとしても、本気で自分という脇役の演技で芝居を良くしたかった。それが出来ると信じていた。

真面目で不器用で一本気な彼にはそれしかできなかったから。かつての父親がそうだったように。

 

 

和馬くんはお父さんによく似ていて、でもお父さんとは違う、岸川和馬という一人の俳優だった。

この世界は舞台、人はみな役者。岸川和馬という役を精一杯生きる姿は、泥臭く、生々しく、でも見惚れるほど美しかった。

 

この試練を与えた神様の気紛れを、恨むべきか憎むべきか。それとも運命だと受け入れるべきか。精一杯生きて、生き抜いて、最後にはきっと神様が微笑んでくれるよう祈るほかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

この作品でまた新しい可能性を見せてくれたけれど

"「自分はスポットライトが当たるべき存在なんだ」と自分で自分を信じている"とパンフレットのインタビューで話してくれた悠仁さんが、すごく好きな悠仁さんで。

 

"スポットライトが当たるのは時間の問題だと思ってる"、とも。

私にとってはとっくにそうで、いつだって世界中に自慢できてどこまでも惹き付けられる自慢の自担だけど、いつか悠仁さんがその景色を実感できるまでついて行かせてね。

 

いつも応援させてくれてありがとう。ずっと一番眩しい人。

これからもたくさんの拍手に包まれて鈴木悠仁という無二の舞台で輝いていてね。

 

 

 

 

この作品に出逢えたこと、改めて誇りに思います。

全ての関わってくださった方に感謝を。そして、本当にお疲れ様でした。

またいつかこの作品に巡り合えますように。

 

 

 

フォーティンブラス(2024)に寄せて

 

 

 

 

 

2024.3.25 えの